杉本商店の歴史2006年01月21日 11時11分11秒

口伝で伝わっている杉本商店の歴史を簡単にご紹介します。

父の代まで福井県河和田(越前漆器の産地:本家は今も河和田)の出で、
曾(ひい)お爺ちゃんの前から漆に携わっていました。
(曾お爺ちゃんの以前から漆に関わっていたのは間違いないが、
 口伝の為どこまで遡るのかは不明。少なくとも曾曾お爺ちゃんは
 漆に携わっていたようです。)
伝わっているところから書くと、曾曾お爺ちゃんは漆掻きだったそうです。
(蛇足だが、当時の漆掻きは福井の人が多かったとか。漆掻き技術は
 福井の人が各地に伝えたとも言われている。)
当時の漆掻きはお金にはなるが、東北地方からの道すがらお金を使ってしまうので
(曾曾お爺ちゃんの性分のせいかもしれないが・・・)
福井に戻ったときには稼いだお金はほとんど無くなっていたそうです。
そんな事を見ていた曾お爺ちゃんは漆掻きを辞めて漆屋さんを始めました。
当時は化学塗料などは無かった時代だから、色々なものに漆が使われていて
その防水防湿性(気密性)から潜水艦の潜望鏡の接合部分にシーリングの
塗料として使われたり、砲弾の内側に漆を塗ったりしていたそうです。
で、それなりに財を成して、東京に進出。漆店を当地(神田)に開店しました。
戦後の混乱期の一時期に営業休止になった事があるようですが、
(現社長の代と言った方が正しいかもしれないが・・・)
お爺ちゃんの代で再び漆屋を始めました。
この頃も今に比べれば随分と漆は売れたようです。
ただ、この代の後半は化学塗料なども出てきて漆が売れなくなってきたました。
そんな中、地の利もあって芸大出身の作家さんの作品を店頭に並べだしました。
(神田と芸大のある上野はJRで2駅の至近であり、漆を買ってもらうご縁の中で
 自然と作家物の漆工芸品が揃っていった。また、昭和38年頃までは芸大に
 陶芸科が無かったので、漆芸(陶胎漆)から陶芸に転進する方もおり、
 そんな方たちの陶工芸品も集まっていったとの事。)
そんな関係で漆屋&陶漆工芸品店という現在の骨格が出来上がってきました。
これが今までの当店の歴史での概略です。

で、今後。
結果的にどうなるかは予想がつかないけれども、今まで以上に工芸品店としての
性格を強めて行きたいと思っています。
エコロジー(地球に優しい)とか環境ホルモンなどが話題になるが、
そういうものに対する解決策の1つとして漆工芸品(日本の伝統的な素材を使い
技法で作られたもの全て)はありえると考え、漆を売るだけでなく
作られた物を使う事をもっと広めていきたいと思っています。
当店の成り立ちから今までは”漆が売れれば”的な発想があった事は
事実であるけれども、それは変えていくつもり。
漆工芸品販売に関して漆屋さんだから出来る事もある訳でそれを当店の
付加価値にしていきたいと思っています。

ちょっと視野を広げて見ると、
世界的な人口増加に伴う”もどき(コピー)商品”の増加が顕著な中で
当店はちゃんとした物を作り販売していく事が非常に大事だと考えていて、
製造→販売→利用→再生のサイクルが重要ではないかと考えています。

漆は考えようによってはアジアの一部でのみ商業ベースに乗る
再生可能な無限の資源と考えられるのだからしっかりやっていきたい。

今後の目標について2005年10月14日 11時11分11秒

 以前、多くの人に漆や漆器(漆工芸品)に関する理解を広めていきたい。
 と書いたが、目標としてはこの言葉通り。
 ではなぜそう思うかというと、仕事として広める事が必要というのもあるが、
 以前書いた観察から始まるという科学の原点を感じて楽しい。というのが大きい。

 この漆の理解についてはかなり苦労をした。
 今思えば物事の理解には定量的な理解と定性的な理解があると思うのだが、
 現在の学校教育は基本的に定量的な内容を覚えるというのが主であり、
 その影響を自分が大いに受けていた。つまり定性的にしか判っていない
 漆を定量的に理解しようとしていた訳だ。 *1
 漆については定量的理解にはまだまだ情報が少ないというのが実態。
 もっと言えば地球にはまだまだそんな物の方が多い。
 その為、漆の理解をするのに初期段階で(思考回路を変更するのに)苦労した。
 学校で教えるものは、先人が自然を観察&記録し、記録を積み上げ傾向を探り、
 ある条件下で無視できるものは無視する事を許容して数値化、公式化したもの。 
 漆はまだそこまで行っていない。
 長い歴史があえるのに?と思うが、人類の歴史からすると科学が発展したのは
 ごく最近の事だし、極東の漆に目を向ける人などいなかったのだから仕方ない。
 (備考) 芸術、音楽、文学は感性であって理解とはちょっと異なる。
 
 書いていてかなりトピずれしている気がするが、ブログはフランクに書くもの
 という事でご容赦願いたい。

 お客様と漆の話をするととかく定量的な話(理解)を求められるのだが、
 漆の世界では今のところ定性的な話しかできない。
 このギャップを理解できない方も多く、怪訝な顔をされる場合がある。
 まず、このギャップを乗り越える事から漆の理解が始まる。
 よく例としてお話するのが、魚沼産こしひかり。
 (別に魚沼産で無くてももいいのだが。)
 話の中身は簡単に言うと魚沼産こしひかりは成分分析的(定量的)に
 魚沼産こしひかりが定義されている訳ではないということ。
 それと漆は一緒だということ。
 同じ場所で同じ時期に採取されても天候などにより味、食感が違うのが普通で
 漆も同様であるということ。 

 漆は人が関わっているので定量的に判っていると思われがちだが、
 漆もオレンジジュースの味の調整のように異なる漆の配合割合を
 変えて一定の範囲に品質が収まるようにするのが関の山だ。
 その為、漆の利用に際しては自然を制すのではなく、自然を理解し
 利用する感覚が必要になる。

 このことが”観察から始まるという科学の原点”のようで楽しいので
 皆様にも理解を広めていきたい。と思う理由だ。


*1 物事の理解において定量的理解が重要な事は言うまでも無い。
  定性的理解は感覚的な部分も多い為、人それぞれによって認識も変わる。
  その為、漆の理解についてその次の段階に進もうとすると個々人で
  ベースとなるものが違い、漆に関する共通理解を持つ事が難しくなったり、
  次の段階への理解の進行が遅くなる。
  また、経験がものを言うという事になり、新規に始める時の敷居が高くなる。
  前述のように漆は魚沼産こしひかりに近いものなので漆の理解が特段
  遅れている訳ではないし、定量的理解をする事はこれからも難しいもの 
  だとは思うが、漆屋としては定量的理解をしたいと思う。

前職のこと2005年10月11日 11時11分11秒

 前の会社には仲間もいるので込み入った話は出来ないけど、
 色々な仕事をしました。営業、商品企画、品質保証、マニュアル作成etc.
 当時、会社としての方向性は色々と経験して...みたいな方向性を出していたけど、
 組織はまだまだ生え抜き(経験の積み重ね)を重視する状態だった。
 役職が付いている人は良かったけど当時そうでなかった私には
 非常にしんどかった。でも今となってはいい経験だったと言えますね。

後日追記
 あ、会社を辞めて今の仕事にしたのは
 ”非常にしんどかった。”からじゃないですよ。
 話せば長くなるし、一部差障りがあるのでここでは書きませんけど、
 総合的な判断の元で行われました。
 そんなことより、今そして未来が大事だと思います。

理系のこと2005年10月08日 11時11分11秒

 一言に理系と言っても2通りあると思う。工学系と理学系。
 工学系と理学系は思考回路が若干違う。
 私は理学系。また、理学系の中にも理論系と実験系があり、私は実験系。
 日本では理系は工学系が多いから残念ながら理学系は傍流(?)。
 もちろん、トップクラスの理系はエリートだと思うが、私らレベルでは傍流。
 にも関わらず、自分の思考回路はちゃんと理学系なので苦労も多い。
 物を考える際に理学・実験系の影響があるのを感じる事がある。
 (ただ、人間は基本的に感情の動物ですけどもね。)

 漆は生物学(統計学?)系なので理学・実験系でも理解するのに時間が掛かった。
 理解にも程度があって工学系のそれとは根本的に違うので
 工学系の人は漆を自分なりに理解するのに苦労するのではないかと思う。
 漆の工学的理解についてはまだ未知の分野にあるように思う。
 また、芸術には工学系より理系の方が感覚的に近いと思う。

ドライブのこと2005年10月05日 11時11分11秒

 他の趣味もそうだがドライブは基本的に複合技で使う。
 たとえば、自動車+自転車+キャンプ道具+釣り道具でキャンプに行くとか。
 観光も楽しいけれど、運転自体が好きなのかな。
 そのためMT(マニュアル)じゃないとね。という感じがある。
 今はおんぼろの四駆のマニュアル車に乗っている。